生産者名一覧

(株)髙橋徳治商店

宮城県東松島市大塩字緑ヶ丘4丁目3-16
私が生産者です
お会いした組合員は一万人超

落成式に植えたラベンダー
 
交流会を始めて10年以上、もしかして20年以上かも知れません。お会いした組合員は一万人を遙かに越えたでしょうか。初めは何を話したか記憶も記録も津波に水没してしまいましたが、無添加の練り物を作るきっかけと地域や世界の魚事情、そして食と家族の話は記憶にあります。年月を重ねるたびに親子、夫婦、変わっていく社会で子供の悲鳴にも似たものを感じるようになり、生き方の話も添加物の話に加えて話すようになっていきました。何よりもそれは出会った組合員から教えられ自分で気付きまた教えられ学んだことです。つまり育てて頂いたのです。
そして震災。それは私たちの全てを根こそぎ奪ってしまった。絶望という言葉すら存在しない。しかし今度は組合員や職員が延べ1100名も駆け付け、片付けカンパやメッセージを通じて数えきれない支援をしてくれました。考えもしなかったのですが、あの生地獄、修羅場に手を差しのべ救ってくれたのです。
その中で、あらためて生きる意味、家族や事業の存在を考えました。そして全国の組合員に今語り続けています。涙も流しました、弱い自分もさらけ出します、厳しいことも語ります、目をそむけたくなる光景や話に顔を向けてもらいます。裸で本音で大切なこと、譲れないことを真摯に語っていきます。原発事故も震災にも背中を向けず、ずっと一緒に歩いてきましたし、これからもそうします。無かったことには絶対に出来ない。それは、被災者にとってはもちろんのこと、今を生きる皆さんに生や命について大切なメッセージが語られていると感じているからです。
震災や原発事故は多くのことを語っています。食の生産者として作り提供する生産者自身の姿勢も問われているのではないでしょうか。
 
私の代表消費材
心に届く食べ物を

おとうふ揚げ
 
おとうふ揚げは生活クラブ岩手が取り組むだいず工房の豆腐が入った練り物です。震災後おとうふ揚げの再開でだいず工房では人が足りず組合員が毎晩自分たちで出来る洗い仕事をして大豆工房の危機を救い継続的に私どもに供給されました。そこまでして出来た豆腐を簡単には使えません。だから毎回、豆腐とタラを最高の状態で、本当に妥協せずおとうふ揚げに仕上げていきます。時には1000kgの消費材を廃棄したことも。震災前と同じではダメ、震災前の美味しさを越える味にしなければ・・・それが支援してくれた大勢の組合員さんへの恩返し、支援に対する答えだと信じています。
 
生活クラブとの提携・現在とこれから
友人宅で目の前の洗濯機の横に
Sマークの石鹸が・・・

包装室の美女たち
 
創業明治三十八年(1905年)、初代高橋徳治、石巻町湊村にて数十代続いた本家よりのれん分け後創業。当時の季節ごとの魚の加工(鰹節、マグロ節、いかなご等佃煮、サンマ等の開き、サンマの油から食油や石鹸作り、タラの加工、たらこ、ホッケの加工、魚粕の製造と農家への販売)をしながら魚市場の今で言う経理部長も兼任していました。明治42年宮城県水産品評会にて知事賞をうけるなど当時からもの作りにこだわっておりました。
終戦後、二代目高橋吉男社長のもと品質の重視、製品開発、販路開拓で全国展開、笹かまぼこ製造も行っています。
大手の下請けで毎日が特売でした。添加物の使い方の勉強は、人一倍しました。50銭でも儲けて謝金を返さねば。仕事がない職場に仕事を。そんな時、現場の傍ら営業で東京に。1日10件の営業が終わり、友人の家に泊まりました。朝起きたら目の前の洗濯機の横にSマークの石鹸があり・・・練馬の一組合員からの紹介でした。
生き残った私たちは、生きる望みを背負わされたのかもしれません。支援してくれるみなさんには復旧、復興してほしいという願いを託されたと思ってます。事業も単に食べていく為だけではなかったはず。それを改めて認識し、地域の光にならなければと思っています。
 

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