(株)紅葉堂
| 埼玉県比企郡 |
| 伝統の技術で安全で おいしい焼菓子を作ります |
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| 左から製造の島崎、社長、滝沢製造課長、新井 |
| 代表取締役 渡辺 祝充(ワタナベ ノリミツ) |
戦後の混乱期に創業者が、東京青山の借家の一室に焼き釜を据え、カステラを焼いて売り歩いたのが原点です。味にこだわりを持ち、菓子造りに高い理想と誇りを持った創業者の理念は、半世紀を越える今日も生き続けております。 生活クラブとの付き合いは1987年からとなります。「提携生産者の原料で長崎カステラを!」という組合員のアイディアによって困難を乗り越えて完成したのが、素精糖カステラです。 これと共に安全素材の選定と衛生管理に撤した生産態勢によるどら焼きや、その他の焼菓子類のお取扱いを頂いております。 |
| 製造次長 滝沢 茂 |
| 私は直接の製造責任者です。 国産の小麦粉は通常市販されているカステラには使われておりません。焼成が非常に難しいからです。 こだわり素材(100%国産の小麦粉)を活かした製法を維持するため温度管理(生地、焼成、冷却)に気が抜けません。これからも製法にこだわり続けます。 |
| 長崎カステラのお話―長崎カステラの歴史 |
| カステラはポルトガル語の「Castella」で、現在のスペインの東海岸側の中央から北部にかけて領有していた、昔のカスティラ王国のポルトガル語呼称で、スペイン人が作った菓子という意味です。ポルトガルではカスティラボーロ(castella Bolo)とも言っていました。 日本には1570年~1591年に渡来したと言われ、今から約400年~430年前の事ではじめ長崎に伝えられたので「長崎カステラ」と称されるようになりました。従来の日本にはない風味でたちまち評判になり長崎から京阪地方に伝えられ、江戸では1700年代に大いに作られたようです。 今では原産地スペインにはカスティラと呼ぶ菓子はなく、ビスコチョと呼ばれるものがありますが、形も風味も全く異なったものです。 長い年月を経て日本人に合った味に工夫が重ねられ、日本の菓子になりきったお菓子と言えるでしょう。 |
| 長崎カステラ製法と品質の見分け方 |
長崎カステラは、風味と風格を備えた最高級和菓子として主に進物として珍重されてきました。 それでは本物のカステラを見分ける方法とは・・・。 |
| 生活クラブとの出逢い |
| 1990年、生活クラブの開発担当者が来社され、素精糖や国内産小麦粉等を使用したカステラの試作を依頼されました。弊社としてはその指定原料が、本来の長崎カステラとはかなり性質の異なった原料であったため消極的に受止めておりましたが、この発想が生活クラブの一組合員さんの素朴なアイデア(=消費者のニーズ)であり、お菓子の代表である長崎カステラを生活クラブ提携生産者のこだわり原料で実現したいとの願いを私共に託された事に感動し、試作に入りました。 そして約2ヶ月、努力の結果成功を見るに至りました。これが生活クラブとの出逢いのはじまりです。 |
| 消費材ができるまで |
| 生活クラブ提携生産者の原料に置換えたカステラ(素精糖カステラ)の砂糖は、蜜分の多い沖縄産砂糖です。小麦粉はグルテンが高く粘りの強い国産小麦粉です。この蜜分と粘り気が素精糖カステラの製造に障害となりましたが、生地の作り方や焼成温度等の試行錯誤の繰り返しにより仕上がったカステラは、その独特の風味と味と感触に今までの原料による長崎カステラでは持ち得なかった特長を実現させることとなりました。 その結果、第一回共同購入は爆発的な話題となるに至り、受注数は予定の5倍となって製造が間に合わないほどでした。 |
| 生活クラブとの提携・現在とこれから |
| 生活クラブと直接取引が可能となった1997年を機に、生活クラブの諸会合、研修会、広報関係を通して生活クラブの基本理念を学びました。これを基に現在ではカステラや特別仕様のどら焼4品(シリーズ品)に留まらず、その他の焼菓子についても安全な原料を使用する消費材の開発に取り組んでおります。生活クラブの考え方に沿った生産をすることが、即ヒット製品に繋がるといった感もあり、時代を先取りした考え方に敬服しております。 今後、より多くの勉強をさせていただき、生活クラブの理念に沿った消費材の開発に尽力致します。 |
| 私たちが扱っている消費材の一覧です |
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戦後の混乱期に創業者が、東京青山の借家の一室に焼き釜を据え、カステラを焼いて売り歩いたのが原点です。味にこだわりを持ち、菓子造りに高い理想と誇りを持った創業者の理念は、半世紀を越える今日も生き続けております。 





